こんにちは。

株式会社久米工務店 代表取締役の久米 雅文(くめ まさぶみ)です。

このたびは、当社のホームページをご覧いただきありがとうございます。

 

私たち久米工務店は、
行方市、水戸市(内原地区)、小美玉市地域で

結婚した、子どもが生まれた、快適で楽しい老後を過ごしたい、でも何をどうしたらいいかわからないと悩んでいる人たちのために、

地元で新築、リフォームからエクステリアまであらゆる工事を経験し資格を持った個性豊かなスペシャリストが、
直接悩み事を解決し、職人とのチームワークでお客様が生活しやすい家を一棟一棟作り上げ、引き渡し後も「真心のおつきあい」をモットーとして、
お客様の大切な家と生活を守り続けていくパートナーとなることを生きがいに感じている工務店です。

 

特に「真心」の言葉に込められた想い[真っ直ぐに正直に、真剣にお客様と向き合う心]は、
会長の久米 義雄(くめ よしお)が昭和46年に創業した当時からおよそ50年、変わらず貫いてきた久米工務店の信念です。

実家があると、心が豊かになる

さて、このホームページをご覧いただいているあなたはきっと、
より良い家づくりを目指していることと思います。

 

では、良い家づくりとは何でしょうか?

 

様々な意見があると思いますが、

私は家とは「ここがボクが育った家」と、そこに住まう家族が“帰る場所”なのだと思っています。

 

お恥ずかしい話、私は子どもの頃「地元を出たい」と父親に反発し、地元を離れたことがありました。いざ世間に出て迷いが生じた時、両親が“帰る場所”を用意してくれていたおかげで私は助けられました。

 

やがて、6人の子どもを持つ親となった私は、父親として自分の家族を幸せにするために、

実家を持つ決意をし、今もそこで暮らしています。

 

そのような経験から、家族が将来に渡って幸せになるための家づくりを研究し、実家-JIKKA-という家づくりのコンセプトを作り上げ、おかげさまで多くの方々から新築のご依頼をいただけるようになりました。

あなたにとって、最適な家づくりを見つけていただくために

さて、このホームページは、これから家づくりやリフォームをお考えの方に、よりご自身にとって最適な家づくりの方法を見つけていただけるよう、弊社の紹介だけでなく、役に立つ情報を提供しようとスタッフ全員で日々更新に励んでおります。スタッフブログでは、私たちの日常の仕事ぶり、時にはプライベートの話題もお届けしておりますので、ぜひご覧いただければ嬉しいです。

家づくりは、出会いから建築までだけでなく、その家に住まい続ける限り長きに渡ってお付き合いが続きます。より良い家づくりの第一歩として、お客様には、その良きパートナーを見つけていただきたいと思っています。

そのパートナーとして、私たち久米工務店にご興味お持ちいただけたなら、お気軽にお声かけください。その時は「真心」を持って、お話をおうかがいいたします。

末筆にはなりますが、あなたの家づくりがよりよい家づくりになりますよう心よりお祈り申し上げます。

 

株式会社久米工務店 代表取締役 久米 雅文

私の家づくりへの想いを、私の半生を振り返りながらまとめさせていただきました

私自身の話をするのは些か恐縮ではございますが、
私の経験が、少しでも皆様のお役に立てればという想いで書かせていただいていますので、是非ご覧ください。

「田舎に帰りたくなかった・・・」 久米 雅文の物語

「大自然に囲まれて育った幼少期」

 

1971年12月22日。
茨城県行方市、男3人兄弟の長男として生まれた私は、そんな想いで高校から地元を離れ生活をすることにしました。

 

久米工務店の創業者であり、現会長の息子として生まれた私は、
地元行方の大自然に囲まれて育ちました。毎日川へ行ってフナ釣り。
釣ってきたフナをじいさんが喜んでくれたことが記憶として残っています。
(じいさんは、喜んで食べてましたが私は苦手でした・・・)

当時の父親は、とても怖い存在。
なにかやらかすと、スグに拳がとんでくる昔ながらの父親でした。
(あの笑顔からは、想像できないくらい・・・笑)

 

怖い父親、
また、当時はとても忙しかったこともあって、
あまり会話することのない幼少期ではありましたが、たった一つ、ことあるごとに何度も話された、
今でも忘れない、父親の教えがあります。

やり抜きなさい。

「一度はじめたことは、やり抜きなさい」

 

これが、父親からの教えでした。
私は、色々なことにスグに興味を持ってしまう性格で、
当時の男の子としては珍しく、そろばんや剣道など、いくつかの習い事をしていました。

ある程度やると、どうしても飽きてきてしまうというか、辞めたくなる時があるのですが、
そんな時には決まって「やり抜きなさい」という言葉が、拳と共にとんできました。
でも、そのおかげで、そろばんも一定以上の級をとり、剣道も地区で2位になるまでやり抜くことができました。

 

そんな中、私にはある想いが芽生えていました。

 

地元を離れたい。

今思えば、それはわたしのただのわがままでした。

外の世界が輝いて見え、田舎を出てその世界に飛び込んでみたくなったのです。

親への反発もあったのかもしれません。
中学でサッカーをしていた私は、そのサッカーの推薦で土浦の常総学院高校へ進学。

 

「もう、田舎には帰らない」

「高校を出たら、東京で暮らす」

 

そんなつもりで、寮生活をはじめました。

サッカーが続けられない・・・

そんな意気込みで進学した高校でしたが、
早速、挫折の時が訪れました。

全国から集まる選手たちに圧倒され、5月には「もう、サッカーが続けられない・・・」と心が折れ、
学校にも行けなくなっていました。

 

しかし、推薦で入学した学校であり、
「また、もう帰らない」と言って飛び出した経緯もあり、
私は行く宛をなくし「これからどうすれば良いんだろう」と途方にくれていました。

 

そんな時、一人の人物が私の前に現れました。

「一度はじめたことは、やり抜きなさい」

現れたのは、父親でした。

 

父親は「お前には帰る場所はある、でも一度はじめたことは最後までやり抜きなさい」と言葉を残し、地元に帰っていきました。

 

これは、後から知った話ですが、部活を辞めても学校を続けられるよう父親がかけあってくれたそうです。
そんなおかげがあって、私はなんとか学校を卒業することができました。

普通科だった私が、次に目指したもの

実家はすでに建築業を営んでいましたが、高校は普通科を選択していました。

そんな私が、高校卒業後に選んだ次の道は「建築」でした。

 

なぜか・・・

 

当時は、特にコレという理由はありませんでしたが、
今思うとやはり、大工としてお客様に喜ばれている父親の姿が心にあったのかもしれません。

建築の専門学校を出て、年間100棟以上建てる住宅ビルダーに現場監督として就職しました。

「直してください」 お客様から言われたショックな言葉

今だから言えますが、
住宅ビルダーでの仕事は本当に大変でした。

 

大変なのは、仕事そのものではありません。
当時の大手の住宅ビルダーにとって、現場監督の役割は図面通りに家を完成させること。
その図面、施工が本当にお客様のためになるかは二の次でした。

また、当時は細かな大工工事のルールも決まっていなかったため、仕上がりは大工によって様々。
ある時です。図面通りに仕上げたはずの家でお客様から「こんなはずではありません。直してください」という話をいただいたことがありました。営業、設計現場での話と違うということで、結局構造からその工事はやり直し。
私としては、精魂込めてつくった家が、お客様に喜ばれない。
しかも、です。
そんなことがあったにも関わらず、現場は改善されるどころか、それは仕方ない、悪いお客様にあたってしまったから・・・という雰囲気まである。大工さんも、やり直しの工事で手間代がもらえて気にしていない。

 

お客様の意見、想いがまったく反映されていない家づくり。

 

「これはおかしい・・・」

 

そんな想いがつのり、私はその会社を辞めることを決意しました。

 

田舎に帰ろう。

「お客様に、胸を張って引き渡せる家づくりをする!」

そう決意して会社を辞めたのはいいものの、次の先は決まっていませんでした。

 

しかしそんな時、
私の決意と同じ想いで家づくりをしている人を思い出しました。

 

その人とは、父親である久米 義雄でした。

 

私は、久米工務店に入社し、当時社長であった、父親のもと、叔父とともに家づくりの仕事をはじめました。
当時は、3人で営業していたこともあり、あらゆる仕事をしなければいけません。
まだ、技術的にも不十分なこともあり、想像以上に大変なことも多かったですが、
「お客様に胸を張って引き渡せる家づくりをする」という決意を、
最後までやり抜くという想いで必死に家づくりに打ち込みました。

 

 

東日本大震災 久米工務店の代表を引き継ぐ

2011年3月11日。

 

東日本大震災が起きました。
大変な災害。

 

その時は、公共工事の仕事が多かった久米工務店ですが、
「久米工務店は元々大工ではじまった会社、お客様の住まいを守る仕事をしていくべきではない」
と自問自答し、その仕事のメインを住宅にしていくことにしました。

 

そして「もう腹を決めよう!」

 

子どもの頃は、地元に戻るのが嫌だった私ですが、
これまでお世話になった地元、そして、実家に恩返しをするため、
代表を引き継ぎ、責任を果たす決意をしました。

 

 

 

 

仲間に支えられ、家族に励まされ

「こんなにプレッシャーのあることなのか」

 

お客様の一生に一度の買い物を任されること、そしてその家を守っていくこと。
それを、代表として責任をもつこと。

 

代表になって父親の凄さを改めて知りました。

 

しかし、大変なことばかりでもありませんでした。

 

代表になったことを知った以前の仲間が「共に仕事をしよう」と声をかけてくれたり、仕事の相談をくれたり。
地元で仕事をすることで、そのようなつながりが出てきたのです。

田舎に帰ってきてよかった。

父である会長がつくってくれた実家。

帰る家があったことに助けられた私の経験から、
私の家づくりははじまりました。

 

久米工務店の新築住宅-JIKKA-は、
そんな私の恩返しの想いをこれからの世代、
家族ができて、家を建てる世代へとつないでいくためにつくった久米工務店の新しい家づくりのコンセプトです。

結婚した、子どもが生まれた、快適で楽しい老後を過ごしたい、でも何をどうしたらいいかわからない。

人生の節目は迷いがつきもの。
私も、人生の節目ではたくさん迷ってきました。

 

だからこそ、
「住まいに関する迷いは、私が解決したい」
住まいづくりについては、私はプロとして答えを出します。

 

 

久米工務店の家づくりに少しでも興味をお持ちいただけましたなら、ぜひお気軽にお声かけください。

そしてもし、ご縁がありましたらそのときは「真心こめた家づくり」をさせていただきます。

 

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